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受験と寿命

Updated: Apr 11



 受験シーズンも終盤に入ってきましたね。


 この時期になると、ずっと勉強してきた高校生までの自分を思い出します。

(一生で一番勉強したのは医師国家試験のときですが、当時は受験は春になってからでした)


 私の親は商売人ですが、割合と教育熱心で、小学4年生のときからチェーン展開している塾に通っていました。

そのチェーンの分校の中では私はデキる子だったのですが、その塾でデキる子たちを集めて、選抜コースを作るというのを親が聞きつけました。

 私もそこに通うことになりましたが、各分校から集められた子どもたちの中には、私よりずっとデキる子もいました。

しばらくして周囲の状況が見えてくると、デキる子たちを集めた中で、私は並以下であることを自覚しました。

当時、子供ゴコロに「〇〇くんは賢いな〜」と思いながら塾に通っていたのを覚えています。

 親が言う通りに家でも塾でも勉強しますが、トップグループには追いつけません。

素直な性格である私は、自分でも無理やろうなあと思う難関校を、親の言う通りに受験しました。

年明けからは学校を休んで家で受験勉強をし、塾でも勉強しましたが、結果は不合格でした。


 結局その後は公立の中学・高校に通っていたのですが、高校生のときに性懲りもなく「東大・京大コース夏季講習」を受講したことがあります。

受講資格は特になく、お金さえ払えば受講できる講座です。

受けてみると、その講座で出される問題の難易度は非常に高く、全く歯が立ちませんでした。

その時、小学生だった自分を思い出し、「本気で東大・京大に行こう思う人は賢いな〜」と感じながらこの講座を受けたことを後悔しました。




 しょうもない受験の思い出をつらつらと書きました。


 高校生までの私は、東大に行けば必ず幸福になり、中卒なら必ず不幸になると思っていたので「なんで受かりそうなとこ受けさしてくれへんかったんや」と受験させた親を恨みました。

しかし成長にするに従って、デキる子から普通の子・ちょっとアホな子となっていった私は、それなりに楽しい学生生活を送りました。

 そして、本を読んだり多くの人と交わりながら社会経験を積んで、受験・学歴と勉強について、次の事を感じました。

今では、学費の高い私立の医学部にいかせてくれた親には感謝しています。


1.志望校合格という壁は、素質という足場に勉強という梯子を架けて超えることができる

→難易度の高い学校は、ある程度の素質がないと、長い時間勉強しても合格するのは難しい


2.勉強しすぎると学生生活を楽しめない

→勉強が好きでスキでたまらない人を除き、勉強ばかりしていると若い頃にしかできない経験ができない


3.最終学歴と幸福度は比例しない

→難関大学に行って出世コースに乗っても、必ず幸福になるとは限らない

 高校に行かずに苦労することはあっても、必ず不幸になるとは限らない



 今では医師になって30年以上経ち、救命救急専門医と内科認定医を取得しましたが、その経歴のほとんどを特定の臓器を専門とした診療を行わずに過ごしてきました。

臓器の病気を治すことよりも患者の困り事全般を解決する事に主眼をおいてきた、と言い換えても良いかもしれません。

また、救急・在宅医療の中で多くの方の臨終に立ち会ってきました。

いってみれば特定の病因にかかわらず、亡くなる方を亡くなる少し前からたくさんみてきたわけです。

 そんな中、人間の寿命と節制・医療といった健康活動(以下、健活)についても考えました。

そして受験と勉強に共通点が多いことに気づきました。


1.長生きという壁は、体質という足場に健活という梯子を架けて超えることができる

→長生きはある程度の恵まれた体質がないと、健活だけでは難しい


2.健活しすぎると、人生を楽しめないことが多い

→健康オタクを除き、節制ばかりしていると生きているうちに人生を楽しめない

 

3.長生きすることと、幸福度は比例しない。

→説明は省略します


 新聞雑誌・テレビ・ラジオでは、勉強せんでも人生楽しんだらええねんで、という意見を聞くことはまずありません。

同じように健康についても〇〇しましょう・△△科の医師に相談をと、長生きする方向のことしか言いませんし、言えません。

 健診では引っかかるときの基準値は「できるだけ長生き」するために設定されており、「ほどほどに長生き」向けではありません。

いわば、東大・京大コースの講義を全員に強要している状態で、「できるだけ長生き」を望む人は健活に励んだほうが思い通りになりますが、望まない人はそこまで頑張らなくてもいいのではないかとも思います。

大きな病気を持っていない高齢者は、受験に例えると、そこそこの学校に行ける学力を持った受験生です。


 実際の塾は、難関校に入るためのスパルタ塾もあれば、授業についていくための補修を行うところもあります。

病院でもしっかり検査をし、多くの薬を使うスパルタ系のお医者さんもいれば、ちょっとした相談を受けたり、風邪をひいたときに出ている症状を抑えるだけのこともあります。


 確かに、全く勉強せずに難関大に入ることや、全く健活せずに百歳超えを目指すことは、現実的ではありません。

若いうちは自分の素質がわからないので健活に励むのは良いことだと思います。

 自分の学力がどの程度か判らないと志望校を決められず、長生きの相場が分からないとどの程度の長生きを目指すのが現実的なのかが分かりません。

たとえば、、現時点で大きな病気を持っていない65歳以上の高齢者は、半数以上が85歳以上まで生きています。


 私の例を出しますと、現在で余命の中央値(同い年の人が100人いたら50番目の人が死ぬまでの期間)が30年弱あり、そこまでの長生きを望んでいません。

血液検査の結果ではコレステロール値が基準よりも高いのですが、寿命を延ばすためのコレステロール低下薬は飲んでいません。

 確かに診療ガイドラインに沿った生活・服薬を守った方が、僅かではありますが、統計上は長生きできます。

中等度の高血圧を例に取ると、20年間薬を飲み続ける人と全く飲まない人を比べると、1年ぐらい差が出るという程度です。

その程度なら、薬を毎日飲むという健活のストレスと寿命が延びるという利点が釣り合わない、と私は思っているからです。


 あなたは自由です。

何回浪人しても難関大を目指すことも、勉強が嫌いなので手に職をつける道を選ぶこともできました。

そして、その選択と幸福になることは、選んだ人の気の持ちようのほうが大きく影響していると思います。

健活に励んでさらに長生きを目指すのか、それとも生きているうちに楽しもうと、寿命が多少短くなるのを受け入れて健活はほどほどにするのか。

ただし、なにも言わなければ塾の生徒の志望校がどこかわからないように、お医者さんは患者さんが何も言わなければ100歳まで生きることを目指しているのか、子や孫が成人するまで生きれば十分なのかはわかりません。

お医者さんは神様ではないので、患者さんが長生きについてどう思っているかは知りません。



 まず、あなたが目指すのはできるだけ長生きか、程々でよいのか、志望校を決めるように長生きの目標を決めてください。

そして、病院に通っているなら、目標をしっかりと主治医に伝えて健活を支えてもらってください。

その上で、健活のしんどさと目標が釣り合っていないと思うなら、目標を下げるか健活主治医の交代も考えてください。

あなたの人生をどうするかは、あなたが決めて構わないのですよ。



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